About Us: 馬宮郷土史同好会

 当会は主にさいたま市西区馬宮地区に住む郷土の歴史に興味を持つ有志により、1977年に発足した同好会です。馬宮公民館を拠点として、月に1回、第2土曜日の午後1時半から2時間にわたり定例会を開催しています。地元の文化祭に参加したり、講演活動を行うなど、郷土の歴史を語り継ぎ、それらを発信することを目標に、年に1度会報の発行も行っています。年会費は二千円のみで、会報の発行や文化祭の展示費用にあてています。

 男女十数名による多彩なメンバーにより、郷土史の話題に限らず、日頃の生活についていろいろな情報を楽しく交換しています。馬宮地区以外にお住みで、郷土の歴史に興味を持つ皆さんはもちろん、地域で仲間づくりをしたい方々のご参加をお待ちしています。


Topics: 活動報告

さいたま市民の日 馬宮ギャラリーに出展

令和6年4月25日から5月10まで、馬宮郷土史同好会は馬宮公民館に於いて「馬宮ギャラリー」の展示を行っています。

昨年、馬宮東小学校は創立150周年を迎え、それを記念して、「馬宮東小学校郷土かるた」ができあがりました。今回の展示では、その郷土かるたを紹介しています。簡単なクイズでストラップも当たりますので、ぜひお越しください。

山吹の里を歴史ハイキング

 令和6年4月初旬、馬宮郷土史同好会のメンバーは越生町にある山吹の里を訪れました。山吹は咲き始めたばかりでしたが、例年より開花が遅れた桜が満開でした。「七重八重 花は咲けども山吹の 実ののひとつだに なきぞ悲しき」 室町時代のこと、若き武将の太田道灌は鷹狩りの途中で、にわか雨に遭いました。民家に立ち寄り蓑を借りようとしたところ、出てきた少女が一枝の山吹の枝を差し出したそうです。道灌はその意味を理解できませんでしたが、後に、「簔がないほど貧しい」という意味だったと知るに至り、己の不明を恥じて歌道を志し、文武両道の名将なったと伝わります。

 越生駅からバスに乗って上大満で下車し、30分ほど渓流を昇った所に曹洞宗の名刹「龍隠寺」がありました。ここには太田道真、道灌父子が眠るお墓が残っています。

 太田道灌は川越城や岩槻城、江戸城を築いたとされています。さいたま市北区奈良町の「三貫清水」は太田道灌が鷹狩りの際に訪れたと伝わるなど、道灌の足跡は関東各地に残されています。

 

馬宮郷土史ホームページ開設

 馬宮郷土史同好会の活動をより多くの方に、分かりやすく知っていただけるように、この度、令和6年2月にホームページを開設しました。馬宮地区の歴史遺産を豊富な写真とともに紹介しています。知っているようで実は知らなかった郷土の歴史を、ぜひご自分で確認してみてください。

 なお、このホームページについて、ご意見・ご感想などありましたら、メールでお知らせいただければ幸です。


「むかしの馬宮41号」

 会報「むかしの馬宮」第41号が令和5年11月に発行されました。その内容は、馬宮東小学校創立150周年を記念した「馬宮東小かるた」に始まり、「馬宮の地名のいわれ」「錦乃原の桜草」「二ツ宮の織物株式会社」「馬宮付近に残る徳川家康の足跡」「中山道を歩く」など、郷土に関係が深い順となっています。

 会報は馬宮コミュニティセンター図書館や国会図書館で閲覧できるほか、馬宮地区の小学校、中学校、大宮武蔵野高校や、馬宮地区18自治会長にも寄贈しましたので、ぜひご覧ください。


歴史遺産に案内板設置

 馬宮地区には縄文時代の貝塚や、弥生時代の竪穴式住居に始まり、室町、江戸時代までの歴史遺産が数多く残されています。この度、令和5年10月に、さいたま市西区誕生20周年の補助金を活用して、①土屋下の弥生時代の遺跡、②西善坊のお地蔵様、③川越電気鉄道高木電停跡に案内板を設置しました。また、馬宮自治会連合会のご理解をいただき、④西遊馬の伯楽の碑にも案内板を設置しました。ぜひ郷土の歴史遺産をお訪ねください。


About Mamiya: 馬宮地区

 さいたま市西区は「水と緑と花のまち」といわれます。馬宮地区はさいたま市西区の西部を流れる荒川の恵みを受けているため、とりわけ自然が豊かな土地といえます。古来より大宮台地の枝葉の高台に寺社が建立され、人々は入間川や荒川の自然堤防上に住居を建て、低湿地に田や畑を開墾して生活してきました。

 豊臣秀吉によって小田原北条氏が亡び、徳川家康が駿府から江戸に領地替えになると、家康家臣の伊奈忠次・忠治親子は利根川の東遷とともに荒川の瀬替え(西遷)に着手し、新田開発を進めました。荒川が近くを流れるようになって、馬宮の人々は荒川の舟運による恩恵も受けるようになりましたが、台風の季節には水害により大きな被害を受けてきました。そのため、江戸時代から明治、大正、昭和と先人は荒川の水害対策に知恵を絞ってきたのです。  

 現在は流域の東京都民や埼玉県民を守るために、莫大な費用を投入して「荒川調整池」の工事が進められています。こうしたことから、馬宮の歴史は「荒川」とともにあるともいえます。ここでは荒川の歴史を写真でたどってみましょう。


Features: 馬宮のみどころ



荒川の流れ

 荒川は秩父山系の甲武信岳(2,475m)を源流として、熊谷付近で関東平野に流れ込み、埼玉県中央部から県南部を経由して東京湾に注いでいます。荒川の流域面積は埼玉県の7割に及ぶほどです。その荒川が馬宮地区の西部を縦断しているのです。

 荒川は江戸時代は舟運の大動脈でした。江戸時代には人は街道を歩き、大量の物資は舟で運ばれました。現在の荒川は広大な水田に農業用水を供給し、埼玉県南部と東京都には飲料水を供給する重要な一級河川です。一方で水害をもたらすリスクを抱えており、流域住民を守るための治水が重要な意味を持っています。


上江橋

上江橋は一般国道の川の橋では長さ日本一

さいたま市西区は荒川の下流域にあたりますが、荒川と入間川に架かる国道16号線の上江橋は長さが1610mあり、一般国道の河川に架かる橋としては日本一の長さとされます。上江橋から眺める富士山のは絶景です。

上江橋からは遠く秩父連山や東京スカイツリーも見渡すことができ、多くの人々がウォーキングやジョギング、サイクリングを楽しんでいます。

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国道16号線上江橋


遊馬山高城寺

 高城寺は室町時代の天文12年(1543)に創建された曹洞宗の名刹です。山門には馬の彫刻が施されており、当地と馬との関係を象徴しているようです。寛文3年(1663)に村の有力者により建てられた庚申塔は、旧大宮市でも2番目に古いものです。

昼間の渡し

 戦国時代に小田原の北条氏が滅亡した後、徳川家康は直ちに関東に入府し、鷹狩りと称して、領内を精力的にに視察しました。戦略的な重要拠点であった川越や、馬宮地区周辺にも、天正19年(1591)に訪れています。

 家康が川越から岩槻に向かう途中で夕刻となったとき、領民が松明を「昼間」のように焚いて、入間川(荒川)を渡るのを助けました。これに喜んだ家康は渡し守に「昼間」の姓を与え、2丁歩の土地を与えたと伝わっています。1丁(町)は=10反=3,000坪≒1ヘクタールなので、2丁は6,000坪にあたります。


川越電気鉄道

川越電気鉄道は埼玉県で最初の電気鉄道

明治29年(1896)に川越の実業家が中心となって、川越と大宮間に川越電気鉄道が開通ました。

電気鉄道は単線で前にしか進めないので、始発の川越久保町と大宮桜木町の駅は線路がループ状になっており、中間地点の高木駅は電車が交換できるよう、「すり替え」の形状になっていました。チンチンと鐘を鳴らしたので、チンチン電車の愛称で呼ばれていました。

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さいたま市西区西遊馬高木


治水橋

 治水橋は大正から昭和初期にかけて37年間を要した荒川の河川改修後、昭和9年に竣工しました。欄干や照明は橋の下に広がる桜草自生地の「錦乃原」との調和を考えてデザインされたそうで、竣工式は盛大に行われたとの記録が残っています。

永田邸長屋門

 戦国時代に豊臣秀吉により、小田原北条氏が滅亡した後、家康は直ちに関東に入府し、関東の領地をつぶさに調べ上げました。そして、利根川と荒川の流れを変えることで関東平野が豊穣の地となることに気がつきました。利根川は銚子から太平洋に流し込み(利根川東遷)、荒川は入間川に付け替えました(荒川西遷)。その結果、舟運が栄え、関東の耕地面積は約2倍となったと記録されています。

 この事業を主導したのが関東代官頭の伊奈忠次・忠治親子でした。忠次は伊奈町に陣屋を築き、土屋陣屋(馬宮地区)を設けて、荒川の河川改修に取り組んだのです。


びん沼川

びん沼川は昔の荒川。桜の名所です。

びん沼川は旧荒川の河道にあたります。大正7年(1918)から昭和29年(1954)まで37年間をかけて、県会議員の斉藤祐美などの提案により、荒川の大河川改修工事が行われました。その結果、流路は直線化し、しゅんせつ工事も進められて、洪水のリスクが大幅に減少しました。

びん沼川は改修前の荒川の河道の名残であり、ヘラブナ釣りでよく知られており、遠方から多くの釣り人が訪れます。

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さいたま市西区飯田新田


馬宮の動物

 馬宮地区の広大な荒川河川敷には、大宮カントリークラブ、大宮国際カントリークラブ、川越グリーンクロスの3つのゴルフ場があります。タヌキやアライグマ、ときには鹿も見かけることがあり、動物の天国の様相を見せています。