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上江橋から元旦の初富士を望む

 さいたま市西区の初日の出は早朝6時52分、上江橋からは朝日を浴びた美しい富士山も眺めることができます。一般国道16号線の上江橋は河川に架かる橋としては、日本一の長さです。車で自転車で、そしてウォーキングで、初日の出を拝む人たちは年々増加しています。

上江橋から眺める初日の出

 元旦の朝日は大宮武蔵野高校の近くから昇ります。左手にはさいたま新都心の高層ビル群を望めます。

宿東間から見た夕暮れの富士

 馬宮東小学校から荒川左岸堤防に上がると、堤外の河川敷が広がっています。そこから川越市方面に向かって左手がふじみ野市、富士見市となります。その名の通り、優美な富士が見渡せます。

 荒川と入間川は上江橋の下流200mほどの地点で合流しています。この地点には、川越道の千手堂の渡しがありました。大正から昭和にかけての河川改修により荒川は直線化され、ここに合流地点が移動しました。この写真は川越グリーンクロスの渡し舟から撮ったもので、上流に上江橋が見渡せます。

荒川と入間川の合流地点

二ツ宮囃子連ヤマタノオロチ公演

 馬宮地区の二ツ宮には囃子連があります。ヤマタノオロチの郷土芸能はみごとなもので、地元でも評判の演目です。大宮の夏祭りの際には、お囃子の依頼も受けるそうです。

荒川の渡し舟 さいたま市資料

 荒川の大正から昭和期にかけては、荒川の河川改修が進み、河道は直線に水深も掘り下げられました。治水橋ができる前は、飯田新田には渡し船がありました。自転車も載せられる舟であったことがわかります。

都築家の古文書:さいたま市収蔵

 江戸時代末期の慶応4年(1868)の都築家古文書には、西遊馬周辺にあった「大囲堤」(おおかこいづつみ)の地図が残されています。大囲提は入間川(荒川)の洪水から集落を守るために、江戸時代初期の慶長年間(1596~1615)に築かれたと考えられています。

馬宮東小の二宮金次郎像

 馬宮東小学校には、いまでは珍しい二宮金次郎の石像があります。同校は令和5年に創立150周年を迎えましたが、高城寺の寺小屋に始まるその歴史を物語るようです。ここから幾多の郷土の生徒たちが、夢を抱いて旅立ったことでしょう。

エノケンも通った馬宮東小

 昭和の喜劇王といわれた榎本健一は、幼少期は手に負えないほどのきかん坊だったようです。そのため、西遊馬本村の母親の実家から、しばらくの間、馬宮東小学校に通いました。NHK朝ドラの「東京ブギウギ」では、昭和の喜劇スタートしてエノケンと見られる人物が登場しました。芸に対する真摯な態度がとても印象的な郷土出身の有名人です。

セブンイレブン西遊馬店に虹が

 西遊馬のセブンイレブンは商店の少ないこの地では、生活のために欠かせない存在です。オープン直後のことでしたが、新装開店を祝福するかのように、背後から二筋の虹が現れました。

入間川橋桁跡に鵜が

 上江橋から入間川を見下ろすと、かつての木道の橋桁が数本残っているのが確認できます。その一本に鵜が羽を休めていました。次の獲物を狙って作戦を立てていたのでしょうか。

旧上江橋橋脚跡と夕陽

 上江橋有料道路のコンクリートの橋脚が、荒川河川敷の川越市側に、産業遺産として残されています。橋桁の間から夕陽を眺めることができる絶景ポイントです。

水判土観音の山門

 水判土観音は大宮台地の枝葉の最南端にあります。半島が海に突き出たような場所です。低地から階段は20段ほどあるので、4m近く高くなっています。この地は中世から戦略的に重要な地点であり、あの徳川家康も訪れています。

荒川河川敷のアライグマ

 大宮国際カントリークラブ内を歩いていると、強い視線を感じました。振り返ると、アライグマが木にしがみついて、こちらを見ていました。かわいい目が印象的でしたが、思いのほか凶暴で、繁殖力が強いので要注意だそうです。

最後の川越線蒸気機関車

 昭和45年(1970)に国鉄川越線の蒸気機関車が廃止されました。写真は指扇駅から高木踏切に向かうところで、悲しげな汽笛からは古い時代の終わりとともに、忘れられない郷愁を感じました。

川越線ディーゼル気動車

 川越線といえば2両編成のディーゼル気動車です。当時は荒川鉄橋上を渡って、古谷から指扇駅に向かう通勤者もいました。橋の上で気動車の音が聞こえると、肝を冷やしたものです。

雪の朝の荒川河川敷

 雪の河川敷の景色はなかなかのものです。この荒川鉄橋は老朽化により、荒川遊水池の建設工事と同時に、付け替えが予定されています。川越線が複線になることは、住民すべての願いです。

台風19号で荒川堤外は湖に

 荒川は農業用水や水道水を供給するだけでなく、東京都と埼玉県の治水の役割を担っています。堤防の強靭化工事はほぼ終わっておいますが、将来的に荒川第2・第3調整池ができ上れば、治水機能も大幅に改善されることになっています。

飯田新田に残る東照宮の扉

 徳川家康が渡ったことに由来して、昼間の渡しの近くには東照宮があったそうです。近くの昼間家には、その東照宮の扉が残されています。左下には徳川の葵の門が確認できます。

永田邸の周辺を囲むお堀

 永田邸の長屋門から左手に進むと、お堀が敷地を囲んでいます。苔むしたお堀と細道は、かつての繁栄を今に伝えているようです。風情のある散歩コースとしてお奨めします。

土屋下遺跡の鉄製鎌とガラス玉

 これが弥生時代の鉄製鎌とガラス玉です。どちらも当時は国内になかったもので、大陸から伝来したとされています。現在はさいたま市博物館に市の有形文化財として収蔵されています。発掘された場所は、永田邸の北側、スギドラッグの敷地内です。

西遊馬氷川神社の力石

 西遊馬氷川神社には、明治期に、近在の集落の神社が合祀されたとの記念碑が残されています。鳥居の近辺には3つの力石も残されており、米の収穫が終わると、村の力自慢が怪力を競った様子がうかがえます。

川越線の川越電気鉄道トンネル跡

 JR川越線の軌道上には、昭和15年まで川越と大宮間で営業されていた川越電気鉄道のトンネル跡があります。その場所は川越線が県道2号線と交差する地点から、川越方面に100mほどの地点です。川越線は川越電気鉄道をまたぐように敷設されたので、トンネルのコンクリート上部が残されました。地元の長老に教えていただきました。

チンチン電車:さいたま市資料

 川越電気鉄道は川越市の実業家が中心になって、埼玉県で初の事業として火力発電所の建設とともに進められ、明治39年(1906)に川越と大宮間に開通しました。埼玉県では最初の電気鉄道であり、全国では10番目とされています。

木造の上江橋をわたる電気鉄道

 川越電気鉄道の最大の難所は荒川でした。橋桁は丸太を組んだ形式で、大雨になると橋の天板は流されないように取り外されたそうです。

黒須電停のレンガ橋脚跡

 川越電気鉄道の川越市久保町から4番目の電停が黒須でした。電停跡にはいまでもレンガ済みの橋脚跡が残っています。同じ埼玉県で作られた深谷のレンガが使われたのでしょうか。

上江橋有料道路:さいたま市資料

 昭和32年(1957)に国道16号線の上江橋有料道路が竣工しました。埼玉県で最初の有料道路であり、その長さは東洋一といわれました。西遊馬高木地区に料金所があり、少年たちが憧れた「月光仮面」のTVロケが行われました。

 テレビ創世記の少年ドラマ「月光仮面」がオンエアされると、当時の小中学生はテレビの前に釘付けになりました。その視聴率は70%に迫るほどだったそうです。月光仮面のロケは完成したばかりの上江橋有料道路で行われましたが、馬宮の多くの子ども達が見物に出かけたそうです。

上江橋からスーパームーンが

 あるとき上江橋の歩道橋をウォーキングして、川越からさいたま市西区方面に戻ってくると、大きな月が昇ってきました。スーパームーンです。指扇ライオンズマンション上に、大きな風船が昇ったかのように見えました。

上江橋周辺のクリーン活動

 馬宮地区の魅力は何といっても豊かな自然にあります。秋の深まりを告げるのは彼岸花ですが、クリーン活動の途中でも、ふと足を止めてしまいます。

夕暮れの丸堀

 西遊馬の丸堀は荒川の洪水の際に、水流でえぐられた名残りであると知りました。ここはヘラブナがよく釣れるため、都内からも足を運ぶ釣り人もいます。丸堀は必要があれば荒川からも水を引き、水田にも供給する「ため池」の機能を持っています。

西遊馬の水神宮

 馬宮地区の水辺には水神様がよく祀られています。大宮武蔵野高校の裏手の堤防には、この地でも最大級の水神宮が残されています。その大きさは近在でも最大級であり、幕末の「慶応」の文字が刻まれています。堤外地にあったものを、ここに移設したと伝わっています。

上江橋有料道路全景:市資料

 貴重な上江橋有料道路の航空写真です。手前が入間川、奥が荒川で、間には全国的にも珍しい背割り提が走っています。入間川には木道の橋も残っています。川越グリーンクロスはまだなく、麦畑が広がっていました。

馬宮社協の絆コンサート

 馬宮地区では、コミュニティセンターや公民館などでいろいろなイベントが開催されています。自然があふれる馬宮の地で、そこに住む人々の絆を深めて、豊かな暮らしを実感してまいりましょう。


温故知新

 「温故知新」という言葉があります。いにしえの歴史を知り、先人の英知に触れることによって、いまに生きる指針を新たにすることがあります。

 馬宮地区は荒川河川敷の豊かな緑に囲まれ、そこには田畑やゴルフ場が広がっています。この地に縄文・弥生時代から連綿と続く長い歴史を知ることによって、先人の功績に思いをはせ、この地に住んでいることに愛着も湧いてきます。郷土の歴史は世代を超えて、後世に語り継いでゆきたいものです。

 

 一枚一枚の写真から、馬宮の歴史や自然の素晴らしさを感じていただければ望外の幸せです。 馬宮郷土史同好会  会員一同